たびびくん、今回はベトナム最大の都市、ホーチミンへトリップします。
ベトナムには美味しいものも多く、東洋のパリと言われる圧巻の景観や歴史的な史跡が有名ですが、猫にとっては混沌としたこの土地ならではのお悩みもあるようです。
またベトナムは物価が安く、ショッピングを楽しむのにもうってつけの場所。
たびびくんはローカルな雰囲気を楽しみながら、得意のしつこさを発揮して、お買い物も楽しむようです。
さて、どんな出会いが待っているのでしょうか?
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目次
たびび君、ベトナム―ホーチミンに行く
へっくちゅ!
と、小さな可愛らしい音が先程から何度も響く。
どうやら受付のお姉さんは風邪を引いてしまったらしい。
ティッシュを取っては鼻を押さえる様子を気の毒に思って眺めていると、クロが隣にやってきた。
そうして真似をする様に同じくへっくしゅん!とくしゃみをしている。
「クロも風邪かい?」
「いや、俺はこの時期になると鼻がムズムズしちまってよう」
そう言ってまた大きくくしゃみして頭を振るものだから、お姉さんまでこちらを向いて気の毒そうな顔になっていた。
「大変だねぇ。ご主人がこの時期は花粉症が辛いって言ってたけど、猫もなるとは知らなかったよ」
「たびびは元気そうで羨ましいぜ。こんな時ばかりは鼻なんか取れちまえって思うね!」
片手で自分の鼻を押さえるクロは、怒った様に尻尾の毛を膨らませている。
「しんどいから俺は寝とくぜ。たびびはどうすんだ?」
「僕も寝るよ」
ご主人がベトナムに行ってしまったので、追いかけるつもりである。僕も寝ると言うと、クロはまた一つくしゃみをしてから身体を丸めて布団に篭もってしまった。
布団に入ると少し楽になるらしい。
「おやすみたびび」
「うん。おやすみクロ」
布団越しのくぐもった声に返事を返しながら、僕もくるりと丸まった。
またお姉さんのへっくちゅ!という音が響く。
僕は微睡みながら意気込んだ。
さあ、待っててねご主人! ベトナムへ行くぞー!
慣れた感覚で僕の半透明な身体が浮かんで、ぴゅーんと吸い込まれる様に僕は海を越えていく。
次はどんな国なんだろう!と、段々と旅をすることが僕は楽しくなっていたのだった。
たびび君、お悩みを聞く
真昼の太陽に照らされた地面に、僕は放り出されるみたいに落っこちる。
猫だから身軽だとはいえ、やっぱり高い所から落っこちるのはお腹がひゅっと竦むみたいで苦手だなぁ
四本足で何とか着地していると、ブロロロロ!と近くから突然音がした。
慌てて飛びのいた場所を、バイクや車がひゅんひゅんと通り過ぎる。
どうやら道路の近くに落っこちたらしい。
それにしても、人も車もバイクも多いなぁと驚く。雑多で雑然として、でも賑やかな様子は何処かお祭り前の喧噪の様に思える。
でも道路や駐車場も広いから、狭苦しい感じはしなかった。それに、ゴミも全然落ちてないから綺麗で歩きやすい。
日本のお祭りとはまた雰囲気が違うんだなぁと目をぱちくりとさせてしまう。
ベトナムは蒸し暑い国なのか、じっとりした気温に合わせるみたいに皆半袖で T シャツを着ている人が多かった。
バイクの人は何故かみんな色々な柄で口元を覆っている。
みんな何で布を巻いてるんだろう?
みんな何処へ向かってるんだろう?
好奇心が湧いていると、げほげほん!と突然大きな音がした。
僕は慌てて飛び上がって辺りを見回す。
するともう一度苦しそうにげほげほん!と咳き込む白地に茶トラ柄の雄猫が居た。
しんどそうなので、クロを思い出して思わず声を掛けてしまう。
「やぁ、苦しそうだね。大丈夫かい?」
「ああ、心配してくれてありがとよ。お前さんは見ない顔だけどどっから来たんだ?」
声が掠れていて皺くちゃだったが、まだ若い雄猫である。
僕は彼を心配しながらも自己紹介をするのだった。
「僕は日本から来た旅猫のたびびさ。ご主人を追い掛けて今まで色々な国を回って来たんだ。
僕のご主人探しを手伝ってくれたら、僕も何か悩み事があったら相談に乗るよ」
「俺はタンだ。悩みかぁ、そうだなぁ」
タンが答えようとすると、バイクがまたブロロロロ!と近くを通った。
バイクからモクモクと灰色の煙が出た瞬間、またタンがげほげほん!と大きく咳をした。
「俺の悩みは、この喘息だなぁ。一時でもいいから解放されたいもんだぜ」
「それなら簡単さ!」
「ほんとか?」
僕は大きく頷く。
「僕と入れ替わっている間に空気が綺麗な場所で休んでくるといいよ。僕は日本で喘息になったことは無いんだ! 君もゆっくり出来る筈さ」
「なるほど。そりゃぁいい!」
タンが嬉しそうにその場でくるりと一回転するので僕も喜んでいると、人間達は変わらずぞろぞろと移動していた。
僕は不思議に思ってタンに尋ねる。
「ねぇ、タン。人間達はみんな何処へ行ってるんだい?」
「ああ、あの白い建物があるだろう?」
タンが指した先には、中央に白くて大きな時計台があり、傘みたいなアーチ模様の屋根が両横へとずっと伸びている建物があった。
首を左から右に回してやっと両端が分かるその場所には、今もたくさんの車やバイクや、人々が集まってくる。
売り子や出店から響く賑やかな声がここまで伝わって来ていた。
「あれがこのホーチミンで一番有名なベンタイン市場さ! お礼代わりに今から案内するぜ?」
「本当かい? ありがとう!」
タンがにやりと笑うので、僕は頼もしく思いながらタンの茶柄の背中を追い掛けたのだった。
たびび君、ベンタイン市場を回る
「ベンタイン市場は花屋とかだと 6 時から開いてて、夜は大抵 18 時くらいで閉まってるな」
「へぇ。日が昇ってる間は開いてるってことなんだね」
僕がきょろきょろしていると、威勢の良い声が聞こえた。
「お嬢さん、このポロシャツ 300000VND《ドン》だヨ! 買って行こウヨ!」
僕が「日本語だ!」と驚いていると、声を掛けられていた女性が口を尖らせた。
「えーっと、変換して……1500 円!? 高いわよ!」
「高くない高くない普通ネ!」
「500 円だから…、100000VND《ドン》にして!」
「そんなの無理ダヨ!」
ぷんぷんと怒る店員に僕の方が肝を冷やしてしまう。
しかし、タンは慣れたもので辺りを見回した。
「たびび、なーに怖がってるんだ? あんなの当たり前だぜ。最初っから高い値段をわざと付けてんだ」
「そうなのかい!?」
言われてみて周りを見回せば、至る所で客と店員の丁々発止の値切り合い合戦が響いている。
当然の光景らしく、みんなそれも観光の一つとして楽しんでいた。
僕が驚いていると、先程の女の人はわざとらしく溜め息を吐いた。
「そう……。じゃあ別の店に行くわね」
そう言って後腐れなくさっさと歩き出していると、もごもごと迷っていた店員が5m程先まで進んでいた女の人へと大声を張り上げた。
「イイよ! 100000VND で売った!」
「よっし買った!」
ペロリとこっそり舌を出すお姉さんを見て、僕も真似してみたくなってペロリと舌を出す。
此処は面白い場所だなぁと僕は益々惹かれるのだった。
それからは、タンに連れられて色々な店を覗いて行く。
ベンタイン市場は人間が横並びに五人ほど通れる通路があって、その両隣側に店が延々と続いてるんだ。
一直線なので迷わないし、ドアとかもないからお店の商品をすぐ近くで簡単に覗いていけるんだよ。
季節が夏っぽいからか、オーダーメイドのTシャツの他にサンダルも売ってあったなぁ。
他にも色々な柄の商品といえば、お店の人が「ノンラー」って言ってた帽子も面白かったよ。
お地蔵さんの三角帽子みたいなんだけど、タンに聞いたら「あれは人間が今も普通に使ってるな」って言ってて驚いたんだ。
時々一枚の継ぎ目のない布を着ている女性が居たので、タンに何だろうと聞いたら「あれはアオザイって言って、ベトナムの民族衣装だぜ」って教えてくれた。
アオザイはぴっちりしてるのに裾がひらひらしてるから、シルエットが綺麗で人気なんだってお店の人が力説してたよ。
人間の女性が楽しそうに選んで買ってたなぁ。
ベンタイン市場を満喫していると、すぐに日も暮れていってしまった。
僕は案内してくれたタンに礼を言い、お互い数日入れ替わることにする。
「たびびありがとよ。ホーチミンを楽しんでくれ」
「タンも、ゆっくりしてね」
お互いにごつんと入れ替わると、タンはワクワクとした様子でひゅーんと飛んで行く。
その様子を見送ってから、僕は早速タンの身体で辺りを見回した。
ご主人は居ないかなぁ
その時、ご主人の声がした気がして慌てて振り向いた瞬間、ブロロロロ!とバイクが目の前を横切った。
バイクの排気ガスが漂った途端、僕はけほけっほん!と涙ぐんで、思わず咳き込んでしまったのだった。
たびび君、ナイトマーケットを楽しむ
「うう、喉がイガイガするよぅ。クロも、タンもこれがずっとだなんて大変だなぁ」
僕がご主人の声は気のせいだったのかもしれないと諦めて喉をさすっていると、ばたばたと人がベンタイン市場の屋根下から出て行く。
日が落ちてしまったので店仕舞いのようだ。
僕は寂しさを感じながらも追われるようにして市場を飛び出していると、辺りから声が聞こえた。
「ナイトマーケットが始まるぞ~!」
ナイトマーケットだって!?
興味津々で様子を見ていると、なんと今度は市場の両脇の道で新しく露天が始まるではないか。
今度は夜だからか、昼とは少し雰囲気が違う印象を受ける。
出店には雑貨や衣類、くつ、おもちゃなどが売ってあり、お土産ものがいっぱいだ。レストランもあり、飲食店では人間達が浮かれて楽しそうにビールを飲んではベトナム料理を摘まんでいる。
僕が愛想よく過ごしていると、人間からお裾分けを貰えた。
何でも『バインミー』というらしい。スナックフードの代表格で、ベトナムの人々に愛されているそうだ。「米粉が入ったフランスパンに、レバーパテや肉、野菜などを挟んでサンドイッチのようにして食べると美味しいゾ!」と店員がずっとお客さんに呼び掛けていたので、すっかり覚えてしまった。
実際に口に含むと、食べ応えがあってとってもお腹も膨らむんだ!
ナイトマーケットの賑やかな喧噪を楽しんでいると、ベトナムの夜はあっという間にふけていったんだよ。
たびび君、値切り勝負をする
ホーチミンをうろうろするけれど、中々ご主人は見付からない。
そりゃぁこんなに人がいっぱいだと中々見付からないよなぁと落ち込んでいると、またけほけっほん!と咳き込んでしまった。
「うう。タンの為にも、僕の為にも何かいいものはないかなぁ」
ぼくはたった数日ですっかり咳き込むことが嫌になってしまった。
こんな痛みとしんどさと友達だなんて、タンが老けてしまうのもそりゃあ当然だと気の毒になってしまう。
何かいい解決策はないものかと辺りを見回していた所で、僕の憎きバイクが目の前を通った。
けほけっほん!
「何で人間は咳き込まないんだろう。目線が違うからだろうか」
思わず涙目で眺めていた所で、僕はふと気付いた!
「あ! そうか! だから人間はみんなあの布を口に巻いてるんだな!」
よく見れば、バイクに乗っている人間ほどあのカラフルな布を口元に巻いている。クロが布団に篭もると楽になると言ってた要領に違いない。
僕は喜び勇んでその布を探しに出掛けた。
ベンタイン市場なら売っている筈だよね! 何といってもこんなに広いんだもの!
と思っていたのだが、何故か見当たらない。
どうやら日用品扱いらしく、お土産ものがメインのベンタイン市場では中々売ってないみたいなのだ。
「折角いいこと思い付いたと思ったのになぁ」
すっかりしょげて尻尾を垂らしていると、目の前で大きくくしゃみをした男の人が居た。
僕が目を丸くしていると、その男の人はお店の引き出しを開けてゴソゴソと何かを取り出す。
「ぅぅ、マスクがあって良かったぜ」
オジサン! そのマスクとやらを僕に頂戴!!
「んあ? 何だこの猫」
オジサンはマスクを手にして怪訝そうに僕を見下ろす。色黒で眉が太いので厳つい顔付きだが、僕はマスクに夢中だった。
オジサン! タダで頂戴!
「しっし。向こう行ってな」
「にゃー! にゃにゃー!」
「やけにしつこいなぁ」
オジサンはしっしと手を振るが、僕はあの日本人女性の値切りを見ているのでじっくりと粘る。
でも、鳴き過ぎて思わずけほけっほん!と咳き込んでしまっていると、それまで邪険にしていたオジサンが眉を下げた。
「なんだぁ猫。まさかこれが欲しいってのかぁ?」
「にゃー!!」
そうだよー!と分かってくれたオジサンに思わずカラカラの声で鳴いていると、オジサンは首を傾げながらも僕にマスクをくれた。
僕は自分の耳に掛けて貰ってその場でくるくると回る。
耳が引っ張られて変な感じだし、これじゃあ食べられないけど、さっきよりも断然息がしやすいや!
オジサンありがとう!
鳴いていると、オジサンはもう一つマスクを取り出して僕とお揃いになっていた。
「大事に使えよ」
「にゃー!」
勿論と鳴いて答えると、オジサンは愉快そうに鼻を鳴らして啜るのだった。
「タン! 楽しかったかい?」
「ああ! 喘息がなかったのは初めてだぜ! でもクロって奴は気の毒だったから、何処の国でもあるんだなぁと思ったよ」
「また違う病気なんだけどね」
僕達がお互いを労っていたところで、僕はとっておきの『マスク』をタンにプレゼントした。
タンは猫も使えると思わなかったようで、目を丸くした後に跳びはねて喜んでいた。
何でもまた入れ替わるのが憂鬱だったらしい。
僕達はこれにてお互いに気持ちよく入れ替わると、また会おうと約束を交わす。
「今度は秘密の美味いもんを教えてやるよ」
「楽しみにしてるね!」
目をつぶれば、身体が引っ張られる感覚がする。
ご主人に会えなかったから、日本でお迎えをがんばらなきゃ!
そんなことを思ってひゅーんと浮くのに任せていると、ざわざわと大勢の人の声がした。
あれ? ペットホテルにお客さんがいっぱい来てるのかなと僕はゆっくり目を開く。
するとそこは――――
「ここどこーー!?」
何故かいつものペットホテルでなく、白い砂浜に波音が響く綺麗なビーチなのだった。
7国目 たびび君、ベトナム―ホーチミンに行く
つづく? おわり