今回は、情熱の国スペイン。
ムエタイで少し体を鍛えたたびびくん、どうやら今度は魅力的な街にピッタリの美しい猫に出会うようです。
ここぞとばかりに張り切っているようですが、お悩み解決に、どんな男気を見せるのでしょうか?
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目次
たびび君、ムキムキ?
「クロ! 久しぶり!」
「おうたびび、久しぶりだ…な……?」
「あれ? どうしたのさクロ」
何故か振り返ってこちらを見たまま固まるクロ。不思議に思って小首を傾げると、僕の鍛え上げた肉体は迅速に反応する。
クロは僕を見ながらあんぐりと口を開けた。
「お前こそどうしたんだよ!? 何でそんなにムキムキになってるのさ!?」
「え? 本当かい? 僕的にはまだまだ絞りたいんだけど…」
「いやもう十分だろ! 何かテレビで見たゴリラみたいだぞっ」
僕がクロの前で自分のお腹を触っていると、全力で止められる。まだ太ってる気がするんだけど、クロが言うならもう大丈夫なんだろうか?
「ダイエットしてたら初めは面倒だったんだけど段々ハマっちゃって」
「お前は年頃の雌猫か! 十分だっての!」
「そっかー」
僕の割れた腹筋を触りながら「すげぇなー」としげしげと頷くので、僕も段々自分ってイケてるのかな?と思っているとご主人の声が聞こえた。
僕は慌ててパッと振り返る。
ごしゅじーん! 待って待ってー!
「じゃあ、今回もよろしくお願いします」
「分かりました。お気をつけていってらっしゃいませ。今回はどちらへ?」
「ちょっとスペインのバルセロナに行こうかと」
笑顔のお姉さんに頭を下げるご主人を追うのだが、残念ながら気付かれずに行ってしまった。
ごしゅじーん!
哀れに鳴いていると、気付いたお姉さんに抱き上げられる。
「あら、たびび君、ちょっと固くなったわね。前はもちもちだったのに」
どうやらお姉さんはぽっちゃり好きだったらしい。
お腹を触られながら不満そうな声で呟かれるので、僕はくすぐったさに身を捩りながらモテるってよく分かんないなぁと思うのだった。
たびび君、美女に出会う
ひゅーんとご主人を追って海を越えた僕は、半透明のまま初めての土地へと降りる。
そう、今回はスペインという国さ!
観光も盛んなのか、色んな肌色の人間がいっぱい居る。日差しを遮る為に、僕は建物の影へと慌てて隠れた。石畳は整備されていて動きやすいし、全体的にベージュ色の街並みで異国情緒溢れている。
建物はレンガや漆喰で建てられているのか、どれもお城みたいな見上げる程の建物が並んでいる。
僕が辺りを観光してみたくて興奮でそわそわしていると、後ろから妖艶な声が掛けられた。
慌てて振り向いた瞬間、僕の目に火の様な鮮やかなオレンジ色でくびれが魅力的な大人の雌猫が現れる。
僕はその色っぽさにすぐに真っ赤になってしまった。
「あなた、見掛けない顔ね」
「ぼっ、僕は旅猫のたびびさ。君は?」
「あら、照れてるの? ふふ、私はカルメンよ。よろしくね」
ぱちりと緑色の大きな瞳でウインクされるものだからたまらない。僕はのぼせてしまって、ついその場でひっくり返ってしまった。
目を回す僕を心配してカルメンは上から覗き込んで来る。軽やかに近付いて来たステップはまるで踊り子の様だ。
初心な僕が面白いのか、はたまた大人の女性だからか、カルメンは僕が日本からやって来たことを話しても「面白い話ね」の一言で流してしまった。
流し目にドギマギしながら、僕はいつもの様にカルメンのお悩みを聞いてみる。
するとさっきまで楽しそうにしていたカルメンは、美しい横顔を曇らせた。陰のある表情に、自然と僕も真剣に耳を傾ける。
「相談ね…。実は、私の主人が建築家の卵なのだけれど、最近スランプで賞をとれていないの。昔は快活な男性だったのに、最近はずっと家に篭もって神経質になってて…」
「カルメンを悲しませるなんて男の風上にも置けないや!」
僕が鼻息荒く言うと、カルメンは淡く微笑した。
「いい所はあるのよ。たびび、良ければ私の家に泊まっていかない?」
「お、お泊りかい…!?」
「ええ、よければなのだけれど」
流し目にうっとりした僕は、ホイホイとすぐに釣られる。
カルメンの家はグエル公園という場所のすぐ近くにあるそうだった。
そうしてカルメンの家へと入ったのだが、残念ながら想像した甘い夜は待ち受けていなかった。どうやらカルメンは僕にご主人を紹介したかったみたいである。ぐすん、泣いてないぞ。
たびび君、男を見せる
「くそう! これじゃ全然駄目だ!! どうしたらいい!」
ぐしゃぐしゃと何かを書いていた紙を乱暴に丸めた男は、そのまま地面へと投げ付ける。
不健康そうな顔色と細身の体型は、男が随分と日に当たってないことが伺える。
荒っぽい動作で髪を掻き毟った男は、呻く様に机に伏してしまった。
家の中には陰鬱な空気が立ち込めている。
男の様子を悲しそうに見ながら、カルメンは僕に言った。
「スランプをどうにかしてくれとは言わないわ。良ければ、彼を一緒に外に連れ出して欲しいの…。私じゃ駄目だったから」
俯いて肩を落とす様子は、美しい火が消えてしまいそうに見える。
僕は少しでも小さい身体がカルメンへ大きく見える様に胸を張った。
「僕に任せてカルメン!」
あんな乱暴そうな男が最後まで大事そうに使うペンを見ながら僕が自信満々に言えば、
カルメンは驚いた様に僕を見た後にっこり笑った。僕は真っ赤になりながら、カルメンに作戦を話す。
「いいわね。それじゃあ私が……」と勇ましく頷いたカルメンであったが、カルメンに危険な真似はさせられないと僕は男を見せることにした。
正直に言うと男は日本の人間に比べると体格が大きいから怖いし緊張するけれど、でも僕だって鍛えたのだし、もやし人間に負けるつもりはない。
明日は雨だそうだから、決行は明後日だと決めた後は、僕達はお互いの住んでいる所について一晩中語り明かしたのだった。
たびび君、ひきこもりと鬼ごっこ
それは、雨上がりの快晴がスペインの空を彩った日のことだった。
「わぁ! こらカルメン! それは大事なペンなんだ! 返しなさい!」
僕はたびびだよーっだ!
女の子に危険な真似はさせられないので、僕はカルメンの身体と入れ替わっている。でもスペインの地理が分からないので、カルメンには道案内を頼んでいた。今も心配そうにドアの入り口から僕たちを見ている。
「カルメン! いい加減に……って、こら! 外へっ」
「にゃーお」
男のペンを口に咥えながらなので鳴き辛い。でも、ドア口で振り向いて男を見れば、男は揶揄われていると思ったのか、躊躇いを捨てて僕を追い掛けて来た。
『カルメン! 来たよ! 何処行く!?』
『グエル公園に行きましょう! あそこは有名な建築家が建てた一番好きな場所だって昔彼が言ってたから』
僕は頷くと、カルメンの身体で軽やかに石畳を駆けた。
「おや? スペインではお魚でなくペンを咥えた猫が走るんだなぁ」と聞き覚え満載の男の人が呟いていたのだが、追いかけっこに必死のたびび君はどうやら気付かなかった様子である。
グエル公園は赤青黄いろのタイルを複雑に組み合わせ、鮮やかな色彩と曲線に囲まれた美しい公園であった。
木々も所々に生え、道の両脇の壁はうねる様に創られており虹色のタイルが光を反射する。
青や緑色のタイルを組み合わせた両手を広げたトカゲが居れば、白とオレンジ色の蛇みたいな置物もある。ベンチの休憩場所さえ、内側から見るのと、外側から見るのとではタイルの模様が違う。幾何学でありながら乱雑でない美しさは、まるで魔法の様だ。
日本では見ない光景は、追い掛ける男にとっても改めてハッとするものであったらしい。
「この構造はガウディの……」
日の下であると線の細すぎる男は、時折立ち止まっては辺りを見回して壁に手を当てる。
ぶつぶつと呟く様子は傍目だと怖いが、その表情は真剣だ。
少しして何かを思い出した様に辺りを見回すと、僕…といっても今はカルメンの身体を見付けて慌てて追い掛けて来るのだった。ちなみに、運動を全然していないのか、階段を見て引き攣った笑いが出る程には既に動悸や息切れが激しそうである。
追い掛けられてもその時には僕も休憩出来ているので、呑気にカルメンに解説してもらいながら辺りを観光しつつ走る。
僕は追いかけっこをしながら、次第にその七色の美しさに呑まれそうになっていた。
だってさ、通っているだけで心が高揚するんだ! まるで七色の虹の道を走っているようで、何処を切り取っても目にも心にもとても楽しい。
僕がカルメンと一緒に振り向くと、最初は僕だけを見て辺り構わず勢いよく追っていた男が、足を止めて辺りをしっかりと目に映している姿が見えた。
僕達を忘れてしまった様に、今では何度も壁を撫でてはぶつぶつと呟いてる。
僕はカルメンと顔を見合わせて、くすくすと笑うと思い出してもらう為に何度か来た道を戻っていった。
「はぁっ。このお転婆娘め」
「にゃーん」
白亜の大階段を登って、お城も通り抜け、そうしてバルセロナを一望できる場所まで来たところで僕はついに捕まってしまった。
汗を流しながら半眼で怒った様に見られるので、僕は素直にペンを返して猫撫で声を出して見上げる。するとカルメンに甘いのか、男はうっと唸ると渋々と僕を地面に下ろした。
僕はこれ幸いとカルメンが座っている鮮やかな黄色い壁の上へと登って座る。背丈は男の腰程だ。男からは半透明で見えないけれど、カルメンは男が楽しそうにしている様子を見てとても喜んでいた。
男は僕達を見た後、美しい青い空を、手前の白い屋根とベージュの円やかな曲線の建物を、その奥の赤とオレンジが均一にされど個性的に佇む街並みを、そしてその奥の青い水平線へと目を向ける。
「ああ、僕はこんな街並みを作りたかったんだったな……。カルメン、ありがとう」
ぽつりと感慨深げに零した呟きは、男の鬼気迫っていた憑き物が取れた様な言葉だった。
それは独白の様にありふれていたけれど、とても真摯で、この美しい街並みに溶け込む様な静かな願いだ。
カルメンは目を潤ませて、「私がいないとダメなんだから」と呟くだけだった。
僕は失恋した心地になったけど、男とカルメンがずっと眺める傍に静かに座って寄り添っていた。
たびび君はお土産をもらう
「たびび、ありがとね。あなたのお陰で何だか書きたいことが出来たみたい」
「それは良かったよ」
「あなたの探してた人を見付けてあげられなくてごめんなさいね」
「そういう時もあるさ」
僕のご主人に会えなかったのは残念だけど、仕方ない。雨が小降りな時に探してみたけれど、臭いもないしで手も足も尻尾も出なかった結果である。
僕と入れ替わったカルメンは、僕を見た後で後ろの男を振り返った。
机の上には、紙を真剣に見つめて何かを形作ろうと一心不乱に線を引く男がいる。
僕はカルメンに何か言おうと思ったけど、カルメンが男の人を目を細めて見ているので、結局何も言わずに旅立つことにした。
「じゃあねカルメン! 元気で!」
「あなたもねたびび」
相変わらずうっとりする様な情熱的な流し目にドキドキしながら旅立とうとした時、カルメンが軽やかなステップで近付いてきた。
「これはお土産よ」
「わぁっ!」
「ふふ、またねたびび」
ほっぺにちゅっとキスされ、泡を食った所で身体がひゅーんと引っ張られる。
最後に見た光景は、くすくすと可笑しそうに笑うカルメンと、日の光に照らされて色鮮やかに輝く、スペインの情熱的な光景であった。
「おーいたびび、お前、眠りっぱなしだったぞー? やっぱデブったりムキムキになったりとか止めとけよー。普通が一番だって」
目を覚ますとクロが心配そうに見て来るので、僕はぼんやりと頷く。
「まーだ寝惚けてやがんなぁ?」
「うう、僕は失恋して一歩大人になったんだよ」
「あーあ、こりゃ重症だな」
どうやら寝過ぎて変な夢を見たと思ったらしいクロは、僕の頭をバシバシと叩く。
重症患者に酷い扱いである。
「うう、痛いよクロ」
「まぁ、そういう時もあるさ。ちなみにいい女だったか?」
「何その顔。うん、エキゾチックなスペイン猫だよ。動きが軽やかで、声が綺麗で、一途な女性なんだ」
「お前の理想が詰め込まれてんなぁ。でもお前、日本から出たことないだろ」
呆れた様に言いつつも、クロは楽しそうにケラケラ笑った。
「そうだけど、そうじゃないし」
「何だそれ。寝坊助たびびめ」
ケラケラと笑うクロに思わずそっぽを向いて尻尾を揺らす。
少ししてご主人の声が聞こえて来る。
僕は久しぶりに会えるご主人目がけて、一目散に駆け寄るのだった。
たびび君、スペインに行く おわり