今回はシンガポールでナグのお悩みを解決です。しかし、なんで憧れちゃってるのかな?
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目次
たびび君、2度目の幽体離脱をする
「たびびー。俺はシンガポールに行ってくるから、いい子にしてるんだぞー」
ごしゅじーん! だから僕も連れて行ってってばー!!
ふしゃーっと僕のクリーム色の毛を逆立てるのだが、ご主人はカラカラと笑うだけだ。僕をいつものようにペットホテルのお姉さんに預けると、カラコロと四角い箱を引いて行ってしまった。僕のことを振り返りもしないなんて、なんという薄情さであろう…! 僕のいま一番のライバルはあの青い鋼色に光る四角い箱に違いない。
「ほうら、たびび君の好きなツナ缶ですよ~」
ツナ缶はとっても美味しいんだけどなぁ
はぐはぐと顔を突っ込んでお皿の端まで綺麗に食べていると、向こうの方からきつい香水の匂いが漂ってきた。お姉さんからはあまり匂わないし、ご主人は汗っぽいだけなんだけど、このおばさんは匂いが混ざってなんか凄いや
思わずくしゅんとくしゃみしていると、太ってて何だか派手なピンク色をしたおばさんの腕からひょっこりと黒猫が顔を出した。
「よおたびび。今日も預けられてんだな」
「やあクロ! 君のご主人だったんだね。独特な匂いのご主人だねえ。これなら遠くからでもすぐに分かるや」
「やめてくれよ。俺はこの匂いに辟易してんだからよお」
そういってクロは宝石のいっぱいついた指で頭を撫でられるもんだから、何だか頭がいろいろな意味で痛そうな顔である。
「クロちゃんをよろしくお願い致しますわね。わたくし、これから行くところがあって」
「ええ。承りました奥様」
その言葉に機嫌良くなったのか、もう一度クロを撫でたおばさんは大きな腰を振って行ってしまった。
なかなか強烈な人である。
「はぁ、やっと俺の憩いの時間だぜ」
「あれは強烈だねぇ」
「だろう?」
やれやれと背中の毛を舐めるクロ。美味しいものを食べていつもは色艶がいいクロの毛も、今はどうやら草臥れ気味であった。
そんなクロを見ていたら僕の自慢のご主人にまたすぐ会いたくなる。
ご主人はまた僕を置いて行って! 僕もシンガポールに連れて行ってほしいのに
思わずしょんぼりと肩を落としていると、ふと前の時を思いだした。
そうだ。僕は前、韓国まで飛んで行ったんだ。なら、今度も出来るかもしれない!
「なんだぁ、たびび? 鼻息荒くして。風邪か?」
「僕はやることが出来たからね! そうとなったら早速寝なくちゃ!」
「お、おう? 頑張れよ?」
てこてこと後ろに下がるクロに失敬なと思いつつ、僕は勢いこんで目を瞑った。流石にすぐには寝付けなくてごろごろとマットの上で回転しまくる羽目になったんだけどね……
数時間粘ったけど、一向にそんな感覚にならない。ご主人に会いたいけど、そう上手くいかないよなぁと諦めて目を開こうとした瞬間、僕はようやく待ち望んだあの感覚になったんだ。
ご主人に高い高いしてもらうみたいに僕の体がふわりと浮き上がる。慌てて自分の手を見れば透けて見える。やったあ!と叫ぼうとした瞬間、ひゅーんと尻尾を引っ張られるみたいに僕の体は海を越え、気付けばそう!
異国の地を踏んでいたんだ! 透けてるけどね!
たびび君、シンガポールにやってくる
「うーん、此処はシンガポールでいいのかなぁ。人がいっぱい居るや」
周囲には色んな国から来たっぽい人がたくさん居て、どうやらご主人みたいな観光客が集まる場所みたいだ。サングラスや帽子を被って、半袖の服を着た人間が楽しそうに笑ってる。見分けづらいけど、ご主人はいないかなぁときょろきょろと辺りを見渡すと、潮風が僕の鼻を擽った。太陽の光が僕の体に刺さるみたいに当たる。日本よりも日差しが痛いけど、カラッとした空気に潮風が混じって、日陰に避難するととっても過ごしやすい。
日陰で休んでいると、突然僕の体を水しぶきが通ったんだ。バシャバシャという音が僕の後ろからして、僕は慌てて飛び上がった。
「うわあ! なんだい!? ええっ、白い置物の口から水が飛び出てるっ」
てっきり壊れて吐いてるのかと思ったら、周りの人間はわぁっ!と喜んで写真を撮っている。
僕はすっかり仰天してその変な置物の下で固まってしまっていると、横から線の細そうな声が聞こえた。
「あはは、きみ、ミニマーライオンは初めてかい?」
「え? ミニマーライオン?」
「そうさ。ここ、シンガポールの名物、七体の内の一体さ! とはいえこの子は小さい方なんだけどね」
「七体も居るんだ!?」
僕が驚いて声を掛けて来た猫を見ると、その猫は誇らしげにこれまた線の細い体を反らして口髭を揺らした。毛並みは置物みたいな白色で、背中に灰色の縞々がある。
「そうだよ。ほら、あの奥を見てごらん。あれが一番有名なマーライオンさ。人間がはしゃいで写真を撮ってるだろう?」
よく見ると、僕にとっては大きな置物だと思っていたミニマーライオンよりも、もっともおおっと大きなマーライオンが居た。口からはジャバジャバと勢い良く水が飛び出て、まるで水の橋みたいだ。海を見ている様子は、何だか格好いい。
「あれは僕たち猫の姿なのかい? 魚の尻尾が生えてて、顔が猫に似ているし威風堂々としているから、海に住む猫のボスを表していると見た!」
僕は自分の閃いた推理が正解に違いないと自信満々で言うと、その猫はまたあははと笑った。
「猫は海に住めないさ! あれはライオンを表してると聞いたことがあるよ。まぁ僕も会ったことがないんだけどね」
「ふーん。そっかぁ。でもあんなに大きくて尻尾が魚だったら、海の上じゃないと会えなさそうだなぁ」
「それは確かにそうだね」
一通り話すと、僕たちはすっかり仲良くなった。
「僕はたびび! 君は?」
「ぼくはナグって言うんだ。ここら辺を縄張りにしているよ」
くるりとその場で回転してお辞儀するみたいに頭を下げたナグは、何だかオシャレさんである。仲良くなったので、改めて僕は自分の事情を説明した。
「へぇ。きみは透けてるから変な模様の猫だと思ってたけど、ご主人を探すために入れ替わる相手を探してるんだね」
「うん。代わりに何か悩みがあったら僕が解決してみせるよ。……、簡単なやつならね」
ちょっぴり不安になったのでこそっと最後に付け加えると、ナグは迷う様にウーンと喉を鳴らした。僕はどんなお悩みが飛び出るんだろうとドキドキする。
少ししてナグは白いほっぺたを少し赤くしながら、前足でマーライオンを指差した。
思わずナグとマーライオンを何度も見比べる。
「たびび、ぼくの長年の悩みはね……。あのマーライオンみたいな立派な毛並みが欲しいってことなんだ」
「え……。ええーー!!?」
僕は思わず驚いて、マーライオンみたいに口をあんぐりと開けて転んでしまった。
たびび君、シンガポールを回る
「たびび、少し案内してあげるよ」
夜になってベンチの下で僕たちが休んでいると、ナグがそう言った。僕は喜んでその提案に従う。
「まずはあれだ。たびび、マーライオンの向こう側が見えるかい?」
「ん? 縦が三本、上に横棒が一本。変な光る鳥居だなぁ」
「あはは! 鳥居じゃないよ。あれは人間が泊まるホテル三つの上に、船が乗っかってるんだ」
「船だって!? あの海に居る船かい?」
「そうだよ。マリーナベイ・サンズって呼ぶそうだよ」
あんな高さにまで波が押し寄せて、あんな横に長いおっきな船が乗っかってしまったのだと思うと、ぞっとしてしまう。僕がこっそり半透明の体で良かったと思っていると、ナグが「そろそろだ」と呟いた。僕は何が始まるんだろうとナグの前足の先を見る。
すると天を目指すみたいに光が海から湧いて、次いで水飛沫と共にまるで生き物みたいに踊りだしたんだ!
辺りに居た人間たちも、わぁ!っと歓声を上げる。
僕も三匹の蛇が楽しそうに踊り出して、七色に光る体で水の上を遊ぶ様子にすっかり魅了されてしまった。
思わず興奮してナグに話し掛けようとしたんだけど、ふと横を向いたらナグはその七色の光に照らされるマーライオンを強く憧れる目で見ていて……
僕は絶対ナグのお悩みを解決してあげるんだって思ったんだよ。
たびび君、お悩みを解決する
「たびび、本当にいいのかい?」
「うん! 僕に任せてゆっくりしておくれよナグ! クロによろしくね」
僕が心配そうなナグの前で胸を張ると、ナグはひとつ頷いた。入れ替わったナグは尻尾をぴーんと立てると、まるで空に溶けてしまうみたいに一瞬で日本へと旅立った。多分ゆっくりしてくれると思う。
見送った僕はナグが消えた空を眺めてから、勢い良く走り出す。
全然解決方法が浮かんでないけど、とりあえず走り回ってみよう!
……
そんなこんなで勢い込んだ僕なんだけど、ナグのお悩み「マーライオンみたいな立派な毛並みが欲しい」の解決策が全然思い浮かばない。毛並みって首だけいっぱい一瞬で生えるんだろうか? 変な魚とか草とか食べたらいいんだろうか?
僕は今はナグの体になった自分の白い首回りの毛を前足で引っ掻いていると、不意に頭を撫でられた。
思わずびっくりして飛び跳ねてしまうと、はっはっはと笑われる。
その声が聞きなれた声だったので、思わず僕は抱き着いてしまった。
ごしゅじーん! 僕! 僕だよ!! たびびだよ!!
「はっは。人懐っこい猫だなぁ」
たびびだってばー!
両手でだっこされた状態でご主人の顔の前まで運ばれる。ぺちぺちと肉球で叩けば、旅行前よりも真っ黒に日焼けしたご主人はにっこり笑った。
「痩せてるなあ。内緒で食べるか? 内緒だぞ」
ご主人、僕というものが居ながら色んな所でご飯あげてるな
思わずナンパもののご主人にジト目を送りたくなるけど、ごそごそと取り出されたぷりぷりした柔らかそうなお肉につい涎がこぼれてしまう。
「チキンライスを包んで貰ったんだ。鶏肉、此処のはうまいよな」
「にゃー」
はぐはぐと夢中で食べていると、突然わっ!と近くで人が叫んだ声がした。
思わず前足に力が入って、姿勢を低くする。周りの声に耳を澄まそうと耳をピンと立てると、その瞬間僕の目の前が真っ暗になった。
え? えっっ。うわぁ! なんか絡みつかれてる! 真っ暗だどうしよう!!!
僕はパニックになって纏わりつく毛むくじゃらの何かを振り解こうと一目散に走り出した。
「僕のカツラが!」
「きゃっ! 何か通ったわ!」
「おーい! 猫ちゃーん!」
前が見えないまま人の声を避けて走り回っていると、ゴスンッと何かにぶつかって吹き飛ばされる。
くらくらしながら目を開いたら、僕は森の中の木にぶつかってひっくり返っていた。
「いたたたたぁ。一体何だったんだ…?」
思わずタンコブが出来てしまったおでこを撫でて涙目になっていると、目の前の茂みで何かが風で揺れている。
思わず恐る恐る見た僕は驚いた。
何でかって? 僕の目の前にマーライオンみたいな立派な毛の山があったからさ!
色もこげ茶でちょうどいい! 匂いは何だか汗臭いけど。
僕はすっかりこの奇跡に感謝して逃がさないように前足で押さえ付けた。どうやらもう死んでしまったのか、前足で叩いても全然動かない。僕は思いっきり毛むくじゃらに頭を突っ込んで穴をあけると、戦利品を見せびらかすように首回りに掲げた。
暑いけど、何だかマーライオンみたいで強くなった気がするぞ
ふふんと気取って尻尾を立ててふと思い出す。
あれ? ご主人は? ここはどこだろう?
結局、迷子になってしまった僕はその日、ご主人を見失ってしょぼくれて夜を過ごすのだった。
たびび君へのお土産は?
「たびび! なんてきみは凄いんだ!」
「えへん。こんなの簡単だったよ」
本当はたまたまだったけど態とらしく胸を反らせば、ナグは感動した様子で僕を見た。くるくるとその場で回っては、マーライオンみたいにピンと背筋を伸ばして座って口を開けて威嚇している。
尻尾は今にも飛んで行きそうなくらい楽しそうだ。
僕もご主人に会えたので満足である。お互いごっつんと頭突きして元の体に戻ると、ナグは僕の頭をぺろりと舐めた。僕もぺろりと舐め返す。
「ありがとうたびび! また会おうね」
「もちろんだよナグ!」
お互い別れを告げると、僕の体はまたひゅーんと引っ張られて、目を開けると目の前にクロが居る。
「やあクロ、久しぶりだね」
「たびび、寝る前にも会っただろう? 寝ぼけ過ぎだぞ」
呆れた様子のクロにそうだったと慌てて誤魔化していると、ガラガラという音がする。
「たびびただいま。いい子にしてたかい?」
ご主人! 昨日も会いに行ったよ!
「はっは。分かった分かった。これをやるからな」
ご主人チキンはもう食べたからね!
僕が慌ててそう言うと、ご主人は新聞紙を解いて僕に見せた。
僕の目の前に現れたのはミニマーライオンよりももっと小さな僕の手のひらくらいのミニミニマーライオン。
「お? 珍しく気に入ったみたいだな。これを噛むと歯にいいらしいぞ」
噛まないよご主人!
僕は慌ててそういうけど、ご主人は笑って僕を連れ帰るだけだった。
またナグに会いに行きたいな
たびび君、シンガポールに行く おしまい